矛盾論の批判と克服(5)

では、本当に「矛盾の普遍性」などというものがあるといえるのかどうか。レーニンが例示している「矛盾」の例について検討してみることにしましょう。

レーニンは、いかにももっともらしく矛盾と称するものの事例をあげています。毛沢東は『矛盾論』(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央公論社、374ページ)にこの事例を引用しています。

 

「数学では、+と-、微分と積分。

力学では、作用と反作用。

物理学では、陽電気と陰電気。

化学では、原子の化合と分解。

社会科学では、階級闘争」

 

これらは本当に矛盾しあうものと見てよいのでしょうか。

 

(a)+と-

 

+はそこに示した数に特定の数を「加える」という意味、-はそこに示した数から特定の数を「取り去る」という意味で、その記号を使う人間の処理能力に欠陥がない限り、いつも同じ結果が出て、どこにも矛盾など生じようがありません。

ある集団の員数を「+」で表し、欠席数を「-」で表して、両者を結びつければ、現在の出席数が出て来ます。これは、実際に数えた出席数と必ず一致するので、わざわざ出席数を数えてみる必要はありません。この場合にも、員数(+)と欠席数(-)を結合したものと実際の出席数とがくい違うことはあり得ず、その数え方に欠陥がない限り、矛盾は生じえません。両者の機能は常に正反対であり続け、事情次第で正反対でなくなったりして、その間に矛盾が生じるなどということはないというのが、その特徴です。

 

(b)陽電気と陰電気

 

これも+と-と同様、陽性と陰性の二性性相の一例に過ぎず、+と-が数学の記号であるのに対して、陽電気と陰電気は客観的に存在する実体であるという点に違いがあるだけです。この間にも矛盾はなく、単に授受作用があるに過ぎません。

 

(c)作用と反作用

 

これは授受作用のあり方の一例で、物体Aが物体Bに力を作用させるというのが「授」で、その時、物体Bからも物体Aに力が返って来るというのが「受」に当たります。

この「授」(作用)と「受」(反作用)の大きさが等しく向きが反対だという、力学における「授受作用」の一般法則をこれは示しているのです。

 

この関係も決して矛盾ではなく、二つの物体(この場合には陽性と陰性といった差異を考える必要がなく、いかなる物体にもあてはまる普遍的なものです)の間に常に働く授受作用の一般形態であり、調和そのもので、その相互関係に弁証法的な変化も発展もなく、永遠に不動です。これは矛盾と発展の典型例どころか、まさにその反対の調和と同一性の保持の典型例だと言わなければなりません。

 

(d)原子の化合と分解

 

これは、陽性実体(例えば、水素H₂)と陰性実体(例えば、窒素N₂)を特定の条件のもとに化合(授受作用)させれば、H₂ともN₂とも異なる新生体(アンモニアNH₃)ができ、またこれを特定の条件のもとに分解(別の種類の授受作用)すれば、もとのH₂ とN₂に戻るということを示しています。ここにおいて、同じ条件のもとに授受作用させれば、いつも全く同じ結果が生ずるのですから、これまた矛盾でも何でもありません。

 

唯物弁証法は、このようになるためには何億年もの矛盾と発展の歴史があったと見たいのかもしれませんが、それは化学の化合と分解の原理に反するものであって、科学的なものの見方だということはできません。水素と窒素が宇宙の発展の歴史上に現れた時から終始一貫、常にこのようであったというのが化学の見方です。

 

(e)微分と積分

 

微分と積分も、特定の方程式に基づいて直交するX軸とY軸の上に描かれた曲線上の特定の点(X座標がaの点)の接線(微分)、あるいはその曲線からX軸の特定の点aと任意の点xにY軸と並行に直線を引きおろし、この曲線と上記の二直線、X軸の四者に囲まれた面積(積分)を求めるためにニュートンとライプニッツが考案した厳格な方程式であり、これまた計算違いさえしなければ、常に一定の値に達し、どこにも矛盾などありません(第2図)。もし矛盾があったらニュートンの万有引力の法則など、アインシュタインが現れるまでは最高に正確で適用範囲の広かった法則が成立しないということになるでしょう。

 

5の図1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のみならず、この微分積分との間には、もとの関数をいったん積分してそれを微分すると、もとの関数に戻ってしまうという驚くべき相互関係があります(第3図――中島匠一著『なっとくする微積分』講談社、170~171頁参照)。

 

5の図2

 

 



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