矛盾論の批判と克服(1)
1.矛盾論執筆の動機
中共中央『毛沢東選集』出版委員会の解説によれば、『矛盾論』は『実践論』についで、それと同じ目的、すなわち、党内にはびこる教条主義と経験主義、特に教条主義思想を克服するために(『実践論』を執筆した1937年7月の1ヶ月後――8月に)書いたもので、かつて、延安の抗日軍事政治大学で講演した内容だと言われます。
2.矛盾論の根本的前提とその批判
(1)二つの世界観
毛沢東はまず、世界の発展法則について、形而上学と弁証法という二つの見方、世界観があると言います。
第一の形而上学(17、8世紀の機械的唯物論、20世紀初頭の俗流進化論など)は世界的、孤立的、静止的、一面的な世界の見方で、「天は変わらず、道もまた変わらず」(漢代の孔子学派の代表人物、董仲舒)というように、
①世界のすべての事物、事物の形態、種類についてそれぞれ永遠に孤立し、変化しないものだと見る(変化があるとしても、質の変化ではなく、単なる量の増減と場所の移動があるに過ぎないとみなす)。
②このような増減と移動の原因は、事物の内部ではなく、外部にある。すなわち外力によって動かされるとする。
したがって、事物とその特性は、それらが存在し始めた当初からそうであったのであり、別の異なった事物には変化しえないと考える。(例えば、資本主義社会の搾取、競争、個人主義思想なども、古代奴隷制社会、いやもっと古い原始社会からあったと見、社会発展の原因も社会の外の地理、気候などだと説明しようとする。だから、彼らは事物の質の多様性や、その質が別の質に変化する現象をうまく説明することができない。)
それにたいして、唯物弁証法の世界観は、
①世界のすべての事物は変化・発展し、その発展は事物内部の必然的な自己運動から生じ、その運動は周囲の他の事物と関連しあい、影響しあっているとみなす。
②このような事物発展の根本原因は、事物の外部にあるのではなく、事物の内部の矛盾性にあると見る。(どんな事物でも、その内部にはこうした矛盾性があり、それによって事物の運動と発展が起きる。一事物と他の事物の相互関連と相互影響は、事物発展の二次的原因である。)
したがって、唯物弁証法の世界観は、事物の内部から、またある事物の他の事物に対する関係から、事物の発展を研究することを主張するのだと言います。
そうしなければ、「事物には、千差万別の性質があり、また、たがいに変化しあうかを説明できない」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央公論社、370頁)というのです。
では、太陽が月の陰に完全に、余りもせず不足もせず、ぴったり隠れる皆既日食と呼ばれる現象を一体どう説明したらよいのでしょう。このようなことになるのは、月が直径で太陽のきっちり400分の1のサイズであり、同時に月と地球との距離が太陽から地球までの距離のちょうど400分の1であるからだと言われます(クリスファー・ナイト、アラン・バトラー『月は誰が創ったか?』学習研究社、16頁)。
太陽と月がぴったり重なるというだけも不思議なのに、大きさや距離の比がぴったり「400」だというのはどういうわけなのでしょう。これはどう考えても単なる偶然だとは思われません。これは太陽と地球と月がごく短期間に分かれ出たと推定されている四六億年前にこうなるように設計し、その設計を実現した超高度の知性と力を持った存在がいたからだとは言えないでしょうか。このような存在のことを宗教や哲学では神と呼んでいます。
生物には確かに「千差万別」の形態や機能がありますが、それはDNAと呼ばれる四種の塩基(アデニン、チミン、グアニン、シトシン)の長大な配列によって決定されて来るのであって、決して内部矛盾と闘争によって千差万別の性質が絶えず新しく生まれて来るのではありません。このDNAの塩基配列のごく一部が事故によって脱落したり入れ変わったりすることはありますが、それによって種までが変ってしまうという事例はこれまで発見されていません。したがって、この場合にも矛盾と闘争によって千差万別の性質が生じたり、たがいに変化しあうなどということはできません。