Archive for 7月, 2013

矛盾論の批判と克服(11)

三、矛盾論の具体的適応例─文化大革命

 

さて、毛沢東は、すべてのものが矛盾から成り立っている(矛盾の普遍性と絶対性)ものとして、強引かつ独断的に結論づけた上で、今度はその特殊性と相対性に目を向けさせようとします。

 

「まず、物質のさまざまな運動形態における矛盾は、いずれも特殊性をもっている。人間が物質を認識するというのは、物質の運動形態を認識することである。なぜなら、世界には、運動する物質以外に存在するものはなく、物質の運動はかならず一定の形態をとるからである。」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央公論社、377頁)

 

しかし、毛沢東がいう「世界には、運動する物質以外に存在するものはない」というのは本当でしょうか。労働者も「運動する物質」なのでしょうか。

 

毛沢東は5000世帯もの労働者をひとまとめにして政府の命令以下、法外なノルマを課してものを生産させ、こうして造り出した労働生産物を自由に売り買いすることをいっさい許さず、すべてを人民公社に収めさせましたが、このことは、毛沢東が本当に労働者を「運動する物質」だと考えて、精神的な欲求や喜びを完全に無視し、まるで機械のようにどれだけ生産の能率を上げさせるかということしか考えなかったことを意味します。

 

また、毛沢東の思う通りに行動しなければ、それを批判し、さらに自己批判させ、自己批判もしない者に対しては、「階級闘争」と称して徹底した処罰(暴力)を加え、そのために死んだり、自殺した者が無数にいました。それでも、これは「運動する物質」につきものの「矛盾」が、死ぬことによってなくなったというだけのことだと見たのでしょう。少しもそれをかわいそうだと思ったり、やり過ぎたと反省したという形跡がないのです。思想、信念というものがどれほど恐ろしいかがそこから分かります。

 

「物質のそれぞれの運動形態については、それとその他のさまざまな運動形態との共通点に注意しなければならない。しかし、とりわけ重要で、事物を認識する基礎となるのは、その特殊な点に注意しなければならないこと、つまり、それと、その他の運動形態との質的な相違に注意しなければならないことである。この点に注意してはじめて、事物を区別できる。」(同)

 

毛沢東は強調します。認識には「二つの過程」があり、「一つは特殊から一般へ、一つは一般から特殊へと進む」(同、378頁)として、「人類の認識は、つねに、このように循環しながら進むものであって、一循環ごとに〔厳密に科学的方法によるかぎり〕、それは一歩ずつ高められ、不断に深められていく」(同)のであると。

 

ところが、「教条主義者」は「矛盾の特殊性を研究し、さまざまな事物の特殊な本質を認識してこそ、矛盾の普遍性を十二分に認識でき、さまざまな事物の共通の本質を十二分に認識できるのだということがわかっていない。」(同)

「他方、事物の共通の本質を認識してのちもなお、まだ深くは研究されていないか、あるいは新たに現れてきた具体的事物について、ひきつづき研究しなければならないということがわかっていない。」(同)

「わが教条主義者はなまけ者である。……かれらは、一般的真理が、天からふってくるかのようにみなし、それをとらえようのない、まったく抽象的な公式にしたてて、人類が真理を認識する正常の順序を完全に否定し、しかも逆立ちさせてしまう。」(同)

 

すなわち、毛沢東としては、万能の「一般的真理」があると見て、いきなり「一般から特殊へ」と進んではいないというわけです。

 

では、毛沢東のこのような考え方が、実際の政治にどのように適用されて行ったのかを、毛沢東が主導した「プロレタリア文化大革命」(文革)の具体的展開と突き合わせながら、順次、見て行くことにしましょう。(『毛沢東秘録上、下』扶桑社より)

 

(a)大躍進運動と廬山会議

 

1958年、毛沢東は、西欧諸国やソ連に対する対抗意識のもとに、「社会主義社会における労働者階級と農民階級の矛盾は、農業の集団と機械化の方法によって解決される」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央公論社、379頁)という自分で思いついた理論に基づいて、農家を中心に平均5000戸を集団化した「人民公社」を急速につくって、「多く、速く、立派に、無駄なく」飛躍的な生産増加をもたらそうと中国全土に号令をかけました(大躍進運動)。

 

彼の理論によるならば、この「生産手段の全人民所有」に基づいて、人民公社では、全員が公共食堂で無料の食事を支給されることになり、理想的な共産主義社会が一挙に実現されるはずでした。

 

しかし、現実には、責任者たちが大躍進の成果を誇示しようと穀物生産量を倍以上に吹聴したために、過大な供出を割り当てられ、そのノルマを果たせない末端幹部は「右傾」だと批判されるなどし、その無理がたたって、多くの農村は荒廃し、一部の地域では大量の餓死者や栄養失調による病死者が続出(2年後の1960年には、死者の総数は2700万人に達したといわれる)するなどして混乱の極に達しました。

 

そのため、軍のトップ──国防相の彭德懐(ほう・とくかい、ポン・ドーファイ)は、1958年末、自分や毛沢東の故郷である湖南省などを回り、鉄鋼生産で人手をとられ、穀物増産の過大な重圧に苦しむ農民たちの実態をつぶさに見て、その実情を毛沢東宛の3500余字の手紙にしたためて、急進政策の本質的欠陥に鋭くメスを入れ、経済法則より政治を優先させる「プチブル的熱狂性」が「左翼偏向」を犯してこのようになったのではないかという自分の感想を述べました。

 

毛沢東は、彭のこの指摘が自分に対しての批判であると見て腹を立てたのか、この手紙が“私信”であったにもかかわらず、それを周恩来に見せ、さらには、これを印刷して2日後の会議参加者にも見せ、これを「組織的で目的をもった右傾主義の綱領」だと評価するのです。

 

さらには、毛の権威を傷つけたとし、彭が他の三人と「軍事クラブ」という反党集団を結成していたと断じて、1959年7月の中央委第8回総会(廬山会議)で、彭の職務解任を決議。その代わりに、毛沢東の権威を絶対的なものとして奉ずる林彪を任命しました。

(その後、この林彪は『毛沢東語録』を数億部編纂して毛を神格化し、毛の妻──江青たち四人組と共に、毛沢東思想を絶対視する「プロレタリア文化大革命」へと突き進むようになります。)

 

毛沢東は、この彭德懐の解任を皮切りに、中国の大衆を鼓舞して自力更生のための国家総動員態勢を敷くようになりますが、その裏にはもう一つ、社会主義国家の盟主──ソ連の指導者(党第一書記)フルシチョフが、第20回党大会の閉幕の直後の、1956年2月24日深夜、7時間にわたって「個人崇拝とその結果について」と題する報告でスターリン独裁についての徹底的な糾弾を行い、スターリンと一線を画する「修正主義」路線を取るようになったことが挙げられます。

 

このソ連の影響を受けて中国にも「修正主義」が拡がるのを恐れたというのです。

 

実は、1957年12月、毛沢東一行がモスクワを訪問した時に、フルシチョフは毛沢東を無視し、その横にいた彭德懐に「天才的戦略家だ」という最大級の賛辞を送り、彭も「われわれの業績は偉大なソ連の支援のもとで得たもので、あなたを忘れることは永遠にありません」と持ち上げました。

そのことが、ソ連に対する不信と対抗心を抱くようになった毛沢東を刺激し、ソ連と彭德懐の関係に疑念を持つようになったことが、この解任の動機となったのではないかと見る者もいます。

 

これらのことから、はっきり分かって来ることは、毛沢東は彭德懐の見解がマルクス・レーニン主義の正統な理論と合致するかどうかということにだけに目を向けて、農村の荒廃という現実については事実上全くと言ってよいほど関心を寄せていなかったと言うことです。

 

彭德懐が、「経済法則より政治を優先させる左翼偏向」と言ったのは、実際の論文を読んで見なければ正確には分かりませんが、「集団化、機械化」ということで5000戸もの農民を一つに束ね、「多く、速く、立派に、無駄なく」という標語のもと、リーダーが途方もない生産量を自己申告し、それを「自主的」に実現するように強いる。しかも生産したものを自分で売りさばいたりすることを全く許さず、全部、人民公社に納品させる。こうした監督者全能の、まるで終身懲役のようなやり方のことを「政治」と言ったのでしょう。

 

それに対して、「経済法則」というのは、生産する農民の気持ちになって、やる気になれるように計らうこと。たとえば、「大躍進運動」の中で、農村で自然発生したと言われる「包産到戸」(生産の戸別請負制)──各農家が農業生産を請け負い、超過分は報酬を受けるというような、管理者の愛のこもった進め方のことでしょう。マルクス主義の固定観念にもとづく集団化、機械化方式(政治)を、仕事をやる気にさせるやり方(経済)よりも優先させる「左翼偏向」(マルクス主義至上主義)。これではいけないと彭德懐は主張したのでしょう。

 

それに対し毛沢東は、「組織的で目的をもった右傾主義の綱領」だと片付けてしまいました。これは、現実もなまの人間性をも配慮しない、なんと硬直化した評価でしょうか。

 

 

矛盾論の批判と克服(10)

デボーリンらは、「こうした見方で具体的な問題を分析し、ソヴィエト連邦の条件下では、富農と一般農民のあいだには、差異があるだけでけっして矛盾はないと考え、ブハーリンの意見に同意した。フランス革命を分析したときにも、革命前の労働者、農民、ブルジョアジーからなる第三身分のなかには、差異があるだけでけっして矛盾はないと考えた。」

 

このようなデボーリンやブハーリンの考え方に対して、毛沢東は、「かれらは、世界のひとつひとつの差異のなかに、すでに矛盾がふくまれていること、差異はすなわち矛盾であることを知らなかった」と批判しました。

 

しかし何度も繰り返すようですが、レーニンが例示した+と-など、人間の性質が関与していない「差異」の中には何らの「矛盾」も含まれてはいないのです。

 

統一思想の一元二性論によれば、人間世界のすべてのものは、単なる物質的側面(形状)だけで成り立ってはおらず、すべて形状と性相(精神的側面)との統一から成り立っています。富農、一般農民、労働者、ブルジョアジーというのは、そのうち形状面です。この形状面の「差異」だけで「矛盾」が生ずるのではなく、彼らの抱いている心構え(性相面)のあり方で矛盾が惹き起こされると見なければなりません。

 

それは真の愛の有無という問題です。真の愛を持っている富農やブルジョアジーは、決して一般農民や労働者から搾取しようとは思わず、反対に多くのものを与えようとするでしょうし、こういう階級社会のあることが人間の不幸の原因だと悟れば、法律を変えて階級制度を全廃し、民意のすべてを強く配慮する平等社会へと移行することに反対しないでしょう。

 

しかし、統一思想の立場から見れば、人間の愛の本性に合致するのは、聖書に、「神は自分のかたち……すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世記1・27)とあるように、夫婦・父母・親子・兄弟姉妹という「四大心情圏」(家族同士の愛)のある家庭であって、毛沢東が試みたように、家庭的な愛の秩序を無視して国家の命令一下、5000人もの人々をひとまとめにして働かせる人民公社などではありません。

 

このことを理解しなかったので、後で述べるように毛沢東はこの「大躍進・人民公社化政策」で農民の生産意欲を喪失させ、餓死者を2700万人も出すというような大失敗をするようになるのです。これは、生産という形状面ばかりを考えて、人間の幸福感という性相面を全く配慮しなかった結果でしょう。

 

⒧マルクスの資本論が矛盾解決の根本原理となりうるか

 

毛沢東は、この人間の社会と歴史のうちに遍在する矛盾の本質と、それを解決する理論の見本となるのがマルクスの『資本論』だと述べています。

「事物の発展過程を始めから終わりまでつらぬく矛盾運動については、マルクスが『資本論』において、そうした分析を模範的におこなったことを、レーニンが指摘している。」

 

「マルクスの『資本論』では、最初に、ブルジョワ社会〔商品生産社会〕のもっとも単純な、……もっとも根本的な、……何億回となく出くわす関係──商品交換が分析されている。その分析は、このもっとも単純な現象のうちに……、現代社会のすべての矛盾(がること)をあばきだす。それからさきの叙述は、これらの矛盾の発展と、この社会の各部分の総和における発展……を、始めから終わりまでわれわれに示している。」

 

「中国共産党員は、この方法を会得しなければならない。そうしてこそ、中国革命の歴史と現状を正しく分析し、革命の将来を予測できるのである。」

 

では、マルクスは『資本論』の中でどんな分析をしているのでしょうか。マルクスはすべての商品には「使用価値」(人間のなんらかの欲望を満たすことのできる性質)と「交換価値」(その商品を生産するために費やされた労働の量)があり、その交換価値は「それに含まれている『価値を形成する実体』の量」によって、すなわち「労働の継続時間」で計られるのだと主張しました。

「(交換)価値としては、すべての商品はただ一定の大きさの凝固した労働時間でしかない」(『資本論』国民文庫⑴、79頁)。

 

これがとりも直さず商品の価格であり、それはすべて労働者の労働によってつくり出されたものであるのに、資本家はそのほんの一部を賃金として労働者に還元するだけで、あとはすべて横取りするのだというわけです。この「商品交換」という何億回となく出すわす関係の分析から、マルクスは「現代社会のすべての矛盾」をあばき出したと毛沢東は結論づけるのです。

 

しかし、商品の「交換価値」は果たして、すべてそれをつくり出した労働者の「労働時間」に還元してしまえるでしょうか。多くの商品は機械で生産されます。労働者はこの機械が正常に働いているかどうかを管理し、一つの機械から次の機械へと受け渡すだけのことも多いのです。この機械は一体何の価値も生み出さないと片付けてしまうことができるでしょうか。

 

マルクスの時代はまだ機械が発達していなかったので、マルクスはこの機械の働きを無視してしまったのでしょう。しかし、現代人はパソコンや携帯電話、自動車のナビなど、機械だらけの中で生きており、そのためにきわめて楽で便利で安全な生活をごく安く楽しむことができるのです。こういう機械を発明した人々の「使用価値」はどれほど大きいことでしょう。これからの発明者や製作者に、平均をぐっと上回るお金(交換価値)で謝礼しなくてもいいのでしょうか。

 

マルクスの時代にも、「畑にまいてある穀物」、「穴倉で発酵しているぶどう酒」など自然の「化学的過程」で価値が生み出されるものがあることをマルクスは認めていました。しかし、それらの自然の過程が生活に占める役割は小さいものでしたが、今やそうした労働を必要としない生産過程が生活全般を埋め尽くしていると言ってもよい高度な文明時代に私たちは生きているのです。

 

そのほか、ダイヤモンド、石炭、魚など、人間の労働を加えたから価値が生じたのではなく、自然の力で価値のあるものとなったものも数多くあります。また、骨董品、美術品、記念切手、ウィスキーのように、時間をかけて保管したというだけで価値が何百倍にもなるというものもあります。

 

また、経営者の目のつけどころが良かったために価値が生じたものもあり、アイデア、情報、知識などの労働時間で価値を測るのが不適切な商品も数多くあります。

 

こうしてみると、価値を労働者の労働時間だけに帰してしまおうとするのは、資本家が利潤を得るのはすべて労働者の労働からの搾取であるとして、資本家に罪を着せ、暴力革命を合理化するために捏造した理論だとしか思えなくなって来ます。確かに、中には人間の自己中心性によって、搾取だとしか考えられないケースもあるでしょうが、一律にすべてを搾取だとするのは正しいとはいえず、ケース・バイ・ケースに考えていく必要があると思われます。

 

マルクス自身、「どんな物も、使用対象であることなしには、価値ではありえない。物が無用であれば、それに含まれている労働も無用であり、労働のなかにはいらず、したがって価値をも形成しないのである」(『資本論』82)と言っています。これは商品価値の本質は使用価値であると自認していることに他なりません。この価値観に従って考えれば、その使用価値にふさわしい価格で売ることは、高くても不正だということにはならず、その儲けに見合う賃金を労働者に支払えば、搾取ということにはなりません。

 

しかし、統一思想は、そのようにだけ価格と賃金を定めることが最善であるとは言えず、経営者は真の愛と奉仕の精神に基づいて、買い手にはできるだけ安く売り、労働者にはできるだけ高い給与を払うべきであると見ます。

 

このようにして、自分とかかわるすべての人の幸福を願って真の愛をもって奉仕すれば、自分の良心も満足し、平和で幸福になると考えます。

これが統一思想の理想──共生共栄共義主義です。実際、このような原理に従って経営している企業は栄え、世の中から感謝と賞賛を浴びているのではいでしょうか。

 

このように、完全な自由のうちにあって、神と愛において直結する真の父母を中心として順次、家族→氏族→民族→国家→世界へと愛の輪を拡大させていくのが統一思想の理想とする世界で、社会主義がその政府の管理する人々の自由を認めず、力づくで政府の命令に服従させて働かせる社会を意味するのなら、そのような社会が最善のものだとは思いません。

矛盾論の批判と克服(9)

この創造過程にはどこにも矛盾というものはありません。矛盾が生ずるようになったのは、人間が自己中心的な欲望によって神から離れて堕落してしまった結果です(この過程の説明は複雑なので、そのことについては『統一思想要綱』を読むか、統一原理の講義を聴いていただけばと思います。)

 

この統一思想の立場から見れば、人間以外のすべての存在(天体、鉱物、植物、動物)には矛盾というものはなく、人間と人間の集まり――社会のうちにだけ矛盾があり、その矛盾は神がこの宇宙、人間をどのように創造されたか(創造原理)、その創造された立場からどのような過程を通って堕落したか(堕落論)、その堕落した状態からどうすれば本来の位置に戻れるか(復帰原理)についての統一思想(もっと的確には統一原理)の説明を読んでよく考えれば、どのようなものか理解できるようになり、その矛盾から脱出することができるようになります。

 

具体的にそのポイントを述べれば、一人一人が完全な愛の人となり、人のために生きることを自分の生き甲斐とするようになり(性相と形状の統一)、同じように愛の人となった異性と結婚して(陽性と陰性の統一)、愛の家庭を造る。その家庭で子女を生み殖やし、夫婦・父母・子女・兄弟姉妹という家族における四大心情圏を確立し、その家庭を拡大して氏族、民族、国家、世界の平和を形成し、地球全体を神を中心とする巨大な一家族とするということです。

(現実的には、これではあまりに時間がかかりすぎるので、完全な愛の家族関係を構築した家庭を中心として、「祝福」という手続きによって、一度にこれと同様の世界全体の愛の秩序を確立して行こうとしています。)

 

このようにすれば、すべての矛盾、闘争は消滅していかざるをえません。唯物論、無神論を前提としてものを考えるから、矛盾をなくすためには死ななければならないということになるわけで、有神論、一元二性論に基づく神中心の愛の世界的秩序を造ることができれば、死なずとも矛盾はすべて消えてゆかざるをえないのです。

 

(k)デボーリン学派への批判

 

なお、毛沢東はこれまで紹介したように、唯物論、無神論を前提とする、「矛盾の普遍性」の主張の吟味として、「しかし、それぞれの過程の、最初の段階でも矛盾が存在するかどうか。それぞれの事物の発展過程には、始めから終りまで矛盾運動があるかどうか」と問いかけて、ソ連のデボーリン学派の主張を批判しているので、この批判についても統一思想の立場から検討を加えておくことにしましょう。

 

ソ連のデボーリン学派は、「矛盾は、過程のなかに最初から現れるのではなく、過程が一定の段階にまで発展してはじめて現れるのだとみている。そうだとすれば、それ以前においては、過程の発展は、内部の原因によるのではなく、外部の要因によることになる。このように、デボーリンは、形而上学の外因論と機械論にたちかえってしまった。」

 

前にも説明したように、レーニンが挙げた六例のうち、人間の行動とは無関係の最初の五例のうちにはひとかけらの矛盾もなく、人間がかかわっている最後の「階級闘争」は奴隷主と奴隷、武士と一般庶民、資本家と労働者の利害が一致しないことによって生じ、利害の不一致は人間(特に支配者)の自己中心の排他的欲望によって生じたものだと考えざるをえません。

 

その矛盾は、毛沢東がいうように、その対立関係が生じた「始めから」あったに相違なく、発展の途上で生じたものではないと思われます。また、その間に生じた階級闘争は外部の要因によってもたらされたという点は少なく、内部の要因によるところが多いと思われます。

 

また、闘争の過程が終始同一だったとは見られず、この不平等が解消されるまでにはさまざまの変化、発展があったことでしょう。

したがって、「外因論」「機械論」がこの矛盾の発展の説明としてはふさわしいものではないということも承認できます。

 

しかし、ここでの矛盾の解消が不可能で、一つの矛盾が解消されてもまた別の矛盾が発生して来るという見解には賛成できません。人間社会に矛盾が生じて来るのは人間が自己中心の排他的欲望を持ち続けているからで、これがなくなり、すべての人間が人のために尽くすことに喜びを感じ、真の愛の人となれば、すべての矛盾は消え去っていくのです。「矛盾をふくまない事物などはありえず、矛盾がなければ、世界はない」などというのはどう考えても誤りだと言わなければなりません。

矛盾論の批判と克服(8)

(i)統一思想の相対関係の捉え方

 

さらに統一思想は、

①この性相と形状は陽性、陰性よりもっと根本的な相対関係(二性性相)である

②性相と形状のそれぞれが陽性と陰性の相対関係から成り立っている

③唯物論とは逆に、性相が主体(+)、形状(-)がその対象である

と見ます(第4図参照)

 

8の図1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このように、統一思想は唯物論を否定しますが、かと言ってその反対の観念論(唯心論)でもなく、さらにこの両者を機械的に並列させる二元論でもなく、性相が主体、形状が対象の立場で両者が授受作用によって一体となっていると見る唯一論(一元二性論)という独特の見方をするのです。

こういうものの見方を提唱しているのは、私の見る限り、統一思想しかありません。

 

(j)矛盾論と統一思想(一元二性論)の比較

 

毛沢東はレーニンの挙げた矛盾の六つの例に続いて次のように述べています。

 

「人間のもつ概念のひとつひとつの差異は、すべて客観的矛盾の反映とみなすべきである。客観的矛盾が、主観の思想に反映し、概念の矛盾運動を形づくり、思想の発展をうながし、たえず人々の思想上の問題を解決する」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央公論社、374頁)

 

毛沢東はここで、唯物論に従って、まず最初に客観的な物質の状態があり、それが第二次的に主観的な意識のうちに反映されて来ると見ています。その最初の物質の状態のうちに「矛盾」があり、それが意識において「差異」として捉えられる。すなわち、客観的にあるこの宇宙には、そこに調和をもたらすような宗教上の神のような存在があるはずはない(無神論の世界観)ので、始めから終りまで矛盾したままで、単に次々に新しい状態に移行していくことしかできない。これが毛沢東のいう「矛盾の普遍性」ということなのです。

 

この宇宙はどこまで行っても矛盾・対立があるままで、調和するには至らない。こういう徹底した悲観的宇宙観、人間観なのです。

このように絶えず形を変えて、だんだんよりよいものへと「発展」していくが、その発展した状態でも決して矛盾はなくならず、単に前よりはましな状態に移っていくだけであるのだから覚悟しておけ、というのが毛沢東の言い分です。

 

こういう物質上に現れた「客観的矛盾」が第二次的な「主観」の思想に反映して、今度は「概念の矛盾運動」を形づくるようになる。こうして多少はましな思想へと「発展」し、だんだんに「たえず人々の思想上の問題を解決する。」しかし、矛盾は決してなくならないように運命づけられている。この宇宙は矛盾を持たない合理的な神によって創造されたものではなく、単に何の意味も計画もなしに、どういうわけでか生じて来たというだけのものだから、矛盾がなくなるはずはない。この矛盾運動によって多少はましな世界となる可能性があるのだからそれで我慢しろ。「この矛盾がやむやいなや、ただちに生命もやみ、死が到来する」。だから死を意味する矛盾の消滅を願うのは愚かなことだというのです。

 

同様に思想の「対立」と「闘争」がなくなることを願うのも愚かなことだと毛沢東は主張します。

 

「党内では、あい異なる思想の対立と闘争が、つねに生まれる。それは社会の階級矛盾……が、党内に反映したものである。党内に矛盾がなくなり、矛盾を解決する思想闘争がなくなれば、党の生命も停止する。」(同、374頁)

 

しかしながら、この思想に対し、次のように思わざるを得ません。

「このような『粛清の概念』や『破壊の概念』のある共産主義は人類が受け入れることができない主義です。そこでは愛や家庭までも、父母までも搾取の元凶であると言うのです。子供は父母の立場を自己の利益のために活用する存在として、搾取的な母体と見るのです。

共産主義は『世界を全部制覇しなければならない』と言って、そこに反対するものは全部首を切り、粛清しました。自己の同僚もお構いなく、父母もお構いなくみんな粛清したのです。友人も見忘れ、父母も見忘れ、みんな見忘れるのです。『ただ党だけがある!』。やせっぽちの党だけです。みれば見るほど恐ろしく、見れば見るほど冷徹であり、見れば見るほど情が離れていく党だけが『第一である!』と、こう言っているのです。……そこには理想がありません。」(文鮮明著『神様の摂理から見た南北統一』614~615頁、共産主義の闘争観念より)。

 

このどうにも始末に負えない唯物論、無神論のマルクス主義者――毛沢東に対して、一元二性論、有神論の立場に立つ統一思想は次のように宇宙と人間の成り立ちを捉えます。

 

まず、前にも述べたように、生物は実に整然と組み立てられた長い鎖のDNAがmRNAに転写され、ついでそれがタンパク質に翻訳されるという手順で形成されてくる。

 

また、月は直径で太陽と比べてちょうど400分の1の大きさで、同時に地球と月の距離が地球と太陽との距離のちょうど400分の1であるために、ぴったりと重なって皆既日食になるというように緻密に設計されており(クリストファー・ナイト、アラン・バトラー『月は誰が創ったか?』学習研究社、16頁参照)、また、宇宙が137億年前に突如発生した超高温・高圧の素粒子よりも小さな一点(ビッグバン)から生じたなどの事実から、この宇宙は、無形ではあるが超高度の知性を備えた実在する存在――宗教でいう神――によって創造されたと考えざるを得ません。このような捉え方をするのが統一思想の世界観です。

 

その存在は第5図で示すように、心情(愛を通じて喜ぼうとする情的衝動)から発する目的を中心として、内的性相(知情意)と内的形状(観念・概念・原則・数理)との内的授受作用によって創造される新生体(ロゴス)が、再び心情から発する目的を中心として、本性相と本形状(前エネルギー)との外的授受作用によって五感で感知できる実体となって現れて来ると見るのです。

 

8の図2

 

矛盾論の批判と克服(7)

(g)「矛盾の普遍性」という先入観の由来

 

このようにいっさいの先入観を排除して、理性的に考え、観察しさえすれば、この宇宙全体に矛盾が満ちみちているわけではなく、ただ人間と人間の集まりである社会の中にだけ、解決されなければならない「矛盾」があり、その矛盾は、人間一人一人の愛に欠けた自己中心的な欲望と支配力のうちにだけあるということが明瞭に分かって来るはずなのです。

 

にもかかわらずレーニンや毛沢東は、どうして宇宙のすべてのもののうちに矛盾が遍在している(矛盾の普遍性の主張)かのようにいうのでしょうか。レーニンや毛沢東ほどの頭脳があれば、私が今論証したように、矛盾は人間と社会の自己中心的な支配力のうちにのみあるということは簡単に分かるはずなのです。

 

「矛盾の普遍性」の主張は唯物弁証法と唯物史観(この宇宙は矛盾に満ちみちた物質のかたまりであり、その矛盾を順次解決するというかたちで歴史が展開して来たという先入観)から生ずるもので、レーニンや毛沢東はこのことを盲信し、その盲信に基づいて曲りなりにも共産主義革命に成功したために、この先入観を捨てることができなくなってしまっているのです。

 

この盲信は現実の宇宙、生物、人間のなり立ちと相容れない前提から出発しているために、レーニンも毛沢東も一応は成功したかのように見えますが、成功したのは敵(毛沢東の場合は蒋介石)を倒すという点だけで、本当に本来の人間性に合致した合理的で幸福にあふれた社会の構築はできませんでした。そのために、哲学的批判能力には欠けているが、現実に即した社会づくりの能力を持っていたフルシチョフ、ゴルバチョフ、鄧小平などの「修正主義」者の改革が必要となったのだと言わなければなりません。

 

このことについては、プロレタリア文化大革命で毛沢東思想が人民の幸福実現のために、どの点で役立ち、どの点で害毒を及ぼしたか、後で事実に即して批判的に検討してみることにしましょう。

 

ここではその検討の足場として、マルクス主義者のものの考え方の基本となっている「土台と上部構造」の関係について、唯物弁証法の一面性を統一思想の立場から批判し、それに対する代案を提起してみることにしましょう。

 

(h)土台と上部構造

 

マルクス主義者たちは、まず現実の経済的機構の土台とそれをささえる法律や政治、社会的意識との関係について、次のように捉えています。

 

「この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。」(マルクス『経済学批判』岩波文庫、13頁)

 

「土台というのは、そのあたえられた発展段階における社会の経済制度である。上部構造とは、社会の政治的・法律的・宗教的・芸術的・哲学的な見解と、これに照応した政治的・法律的・その他の機関である。」(スターリン『弁証法的唯物論と史的唯物論』国民文庫、142頁)

 

すなわち、マルクスやスターリンは、物質がまずあり、それに対応して精神面が生じて来るという唯物論の根本原理に従って、物質的土台(社会の経済的機構や制度)ができた後に、精神的上部構造(宗教、芸術、哲学などの社会的意識の諸形態やそれに照応する政治、法律などの諸機関)が生じて来るのだと主張するのです。

 

この立場からソ連では作曲活動に対してまでも、共産党はプロレタリア革命と社会主義の時代にふさわしいものでなければならないとして、社会主義リアリズムの立場から作曲作品に対して批判を加えるようになりました。それに対して、セルゲイ・プロコフィエフ(1891~ 1953)は革命が起こった1917年にアメリカに亡命し、ユーモラスなモダニズムの作品を発表して評判となりましたが、33年ソ連に復帰し社会主義リアリズムを受け入れて多くの名作を残しました。

 

一方、ドミートリイ・ショスタコーヴィッチ(1906~1975)は、社会主義リアリズムに沿った戦意高揚をめざす交響曲第5番や労働を讃える『森の歌』などを発表しましたが、その後、60年後半からは反体制派の詩を作品に取り上げ、西欧の前衛的手法をも取り入れて新境地を開拓しました。したがって、二回にわたる共産党の批判にやむなく歩調を合わせはしたものの、終生それに従うことはせず、独自の境地を開いているのです。

 

したがって、物質的な経験的な土台の上にそれと照応する精神的上部構造――この場合には作曲――が生まれると断言することはできません。音楽は美(さらに人によっては愛)を追求するものであって、物質的な富を追求する経済構造とは相対的に独立のものなのではないでしょうか。

 

このように進歩的といわれる音楽ですら社会関係の産物ではありません。

キリスト教、仏教、儒教などの宗教はそれが発祥した社会関係はすでに消滅していますが、現在まで存続し、現在の民主主義社会に大きな影響力をもっています。物質が精神を規定するのではなく、精神が物質を規定するというのです。

 

ともあれ、マルクス主義者が土台だと名づける物質的側面と、上部構造と名づける精神的側面との関係、――これは上述の陽性と陰性の二性性相と共に、我々が住んでいるこの宇宙の最も根本的な相対関係だといえます。

統一思想はこの精神面を「性相」、物質面を「形状」と名づけ、前に述べた「陽性」「陰性」と共に、宇宙を構成する最も基本的な相対的関係だと見ます。