矛盾論の批判と克服(18)
3.遊撃戦争の主導性、弾力性、計画性
遊撃戦争は攪乱、牽制、破壊、大衆工作など多くの活動にあたっては、兵力分散を原則とする。しかし、敵を消滅する任務につく時は「大きい力を集中して、敵の小さい部分を攻撃する」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央バックス、414頁)ことが原則となると毛沢東は言います。
こういう速決戦を何回も展開して勝利を得ることによってのみ、味方の抗戦能力を強化する時間をかせぐと同時に、国際情勢の変化と敵の内部崩壊を促進するという戦略的持久の目的を達成して、戦略的反抗に転じ、侵略者を中国から駆逐することができると言うわけです。
この時、必要となるのが、まず遊撃戦争の主動性だといいます。主動性、主動権というのは「軍隊の行動の自由」で、受身ではなく攻めの立場に立つことで、日本帝国主義には、小さい国から派兵しているために、兵力の不足と外国での作戦という基本的弱点がある。それに加えて、指揮上の誤りという三つの弱点を衝くことで中国の遊撃隊は主動権を握ることができるというのです。
遊撃隊の弱くて小さいという点ですら、かえって敵の後方で神出鬼没に活動するということで生かせる。こうした自由は巨大な正規軍にはなく、遊撃隊であればこその持ち味だというわけです。
主導権というものは、敵と味方の双方についての正確な状況判断とそれに基づく正しい軍事的・政治的処理から生まれる。受身の立場からの脱出は「移動する」ことで、移動がたやすいのが遊撃隊の特徴だと毛沢東は言うのです。
次に必要な弾力性とは主動性の具体的な現れを言い、弾力的に兵力を使用することが、正規戦争以上に遊撃戦争には必要とされる。遊撃戦争の特徴に基づいて、任務、敵情、地形、住民などの条件に応じて兵力の使用を、分散的用兵、集中的用兵、兵力の転進というように弾力的に変えるべきだといいます。
遊撃隊を使用するにあたっては、指導者は、漁師が網をうつように、ひろげることも、たぐりよせることもできなければならない。たぐりよせるときは手綱をしっかりとつかんでいなければならないように、部隊を使用する時は、通信と連絡を保つと共に、かなりの主力を手中にとどめておかなければならない。
また、漁をする時、常に場所を変えなければならないように、兵力を分散、集中、移動という三つの方法に従って弾力的に使用の仕方を変える必要がある。(毛沢東はここでどういう時にどんな具合に分散、集中、移動(転進)させるかということについてきめ細かくコメントしています。)
最後に、計画性について。行動を起こす時には、あらかじめ、できるだけ厳密な計画を立てておかなければならないとして、何をどのように計画しなければならないかということについて、これまた細かくコメントしています。
そこにおいて、防御戦の中で侵攻戦を、持久戦の中で速決戦を、内戦作戦(包囲、挟撃される位置にあっての作戦)の中で外線作戦(包囲、挟撃の陣形をととのえるときの作戦)を実行するというように、常に正反対のものを前提として作戦が組まれなければならないことが強調されています。
4.戦争に勝つ秘策と経済を発展させる論理との根本的差異
これらの記述を見ると、毛沢東がどういうことを「矛盾」と考えていたかということが分かります。
毛沢東がいう通り、確かに、戦争とは「できるだけ自己の力を保存し、敵の力を消滅するかということで、敵もやはり自己(こちら側から見れば敵)の力を保存し、敵(こちら側から見れば自己)の力を消滅」させようとしている。
したがって、両者の「目的」は絶対に相容れない。したがって、戦争の場合には、確かに味方と敵の行動は常に「矛盾」しており、「矛盾の普遍性」が見られると言ってよいでしょう。
唯物弁証法は、すべての現象をこの戦争と同一視する一面的な世界観だといえます。
毛沢東のこの「抗日遊撃戦争」の理論は、実に精密、的確であり、その点からして、こと戦争に関する限り、毛は天才的な手腕を持っていたということが分かります。
実際、毛沢東は第二次世界大戦からわずか四年の間に共産党の遊撃隊をみごとに使いこなして、蒋介石の軍隊を中国の大陸から台湾に追い出し、1949年10月1日には中華人民共和国の建国を宣言するというめざましい成果を収めました。
しかし、経済面の改革――大躍進運動からプロレタリア文化大革命に至る一連の過程は大失敗だったと言わざるをえず、増産どころか2700万人(研究者によっては4000万人という者もいる)にも及ぶ大量の餓死者や栄養失調による病死者を出しました。
これは、「矛盾の普遍性」を前提として階級闘争を行うという唯物弁証法の捉え方が根本から誤っていたことを証明するものだと言わなければなりません。
経済面の改革は、毛沢東のように、「矛盾」を前提とするのではなく、逆に「矛盾の全廃」、すなわち、だれもが幸福を満喫できるような共通目的を立て、その目的に向かって、闘争ではなく全員が協力し合うように励ますべきだったのです。
すなわち、「統一思想」が主張するように、全国民が真の愛のもとに、互いに人のために尽くし合うという、神の人間創造の目的に向かって経済活動を推し進めていくようにすれば、全国民の目的が一致するので、矛盾はなくなるはずなのです。
このように、戦争の場合には、自分の目的と敵の目的とが対立するので、「矛盾の普遍性」ということがいえますが、経済活動の場合はそうではない。
この道理が、毛沢東のようにすべてを理屈だけで割り切ろうとはせず、現実に即して柔軟に対処しようとする鄧小平には分かっていたようです。この点について、現在の中華人民共和国を築き上げたこの二人の捉え方にはどういう違いがあったのか。
その点を次に追求して見ることにしましょう。