Archive for 10月, 2013

矛盾論の批判と克服(24)

唯物弁証法がいうように、物事は確かに「矛盾しあう一方が、他方に変わる」と言えますが、それは、今の人間が神から創造された本性を失って〝堕落した状態〟のもとにあるためなので、ただ単に自らをその対立物に転化させるだけでは不十分であり、まず、神に由来する本来の神性(心情、ロゴス、創造性)と、及び完全な神相(性相・形状、陽性・陰性の二性性相、個別相)との関係性を取り戻す必要があるのです(『新版・統一思想要綱(頭翼思想)』光言社、23-76頁参照)。

 

ここで毛沢東は「それでは闘争性とはなにか」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央バックス、401頁)と述べて、主題を「闘争性」の問題に移します。そして、「同一性と闘争性の関係はどうか」(同)と述べ、レーニンを引用します。

 

レーニンは「対立面の統一〔合致、同一、合一〕は、条件的、一時的、過渡的、相対的である。たがいに排除しあう対立面の闘争は、発展、運動が絶対的であるように、絶対的である」(同)と主張したと、毛沢東は言います。

 

「どんな事物の運動でも、二つの状態、つまり、相対的な静止の状態と顕著な変動の状態がある。………事物の運動が第一の状態にあるときには、量的な変化だけで、質的な変化はない。そこで、あたかも静止したかのごとき様相を呈する。事物の運動が第二の状態にあるときには、第一の状態の量的変化が、すでにある最高点に達して統一物の分解を起こし、質的変化が起こっている」(同、402頁)と言います。

 

それが一体どういうことなのか、毛沢東は統一、団結、連合などの例をあげ、これは「事物が量的変化の状態にあるときに呈する様相である。そして、統一物が分解し、団結、連合、調和………などの状態が破壊されて反対の状態に変わるのは、事物が質的変化の状態、ある過程から別の過程に移行する変化のさいに呈する様相である。

事物は、第一の状態から第二の状態へとたえず転化するものであって、矛盾の闘争は、この二つの状態に存在し、かつ第二の状態を経過して矛盾の解決に到達する」(同)。

そのためレーニンは、「対立面の統一は、条件的、一時的、相対的であるが、対立面のたがいに排除しあう闘争は絶対的である」と言ったのだと、毛沢東は言うのです。

 

この説明は、あまりに抽象的で分かりにくいので、水の状態の変化をその例として考えてみることにしましょう。

水はある温度まで液体の状態を続け、100度(沸点)を超すと液体の状態を保つことができなくなり、すべてが気体へと変化します。

水は、100度以下でも蒸発し気体に変わりますが、それは一部がそうなるだけで、すべてが水蒸気に変わるわけではありません。

 

毛沢東は、この100度の点(沸点)を革命の状態だと捉え、その時には液体の水に対応する古い団結、連合、調和はすべて破壊され、新しい状態の水蒸気に変わる。このように捉えて、闘争を肯定し、尊重するわけです。

このように、唯物弁証法は、闘争は不可避のものであり、闘争によって新しい状態への変化がもたらされるものとして、あくまでも闘争を絶対的なものだとして肯定するわけです。

 

そして、「矛盾の闘争は、過程を始めから終りまでつらぬくとともに、一つの過程を別の過程に転化させるものであって、矛盾の闘争が存在しないところはない。矛盾の闘争性は、無条件的であり、絶対的であるというのはそのためである」(同)と述べます。

 

この論理は、水の変化の例を挙げて説明すれば、分りやすくなるでしょう。水は100度以下でも蒸発して水蒸気にはなりますが、水のすべてがそうなるというわけではありません。しかし、100度(沸点)に達すると、それ以上熱を加えれば、水の状態にとどまることはできず、すべて水蒸気に変わってしまいます。これは矛盾の闘争性が絶対であることを示すというわけです。

 

しかし、水蒸気は冷やせば再び水に戻ってしまうわけであり、闘争性だけが水のすべての性質だと言い切ってしまうことはできません。

レーニンや毛沢東は、暴力革命を肯定したいがために、事物が闘争によって質的に変わることだけを取り上げて説明しようとします。けれども、暴力革命で一時質が変わったとしても、それで人間が幸福になるとはいえません。この論理は、愛によってのみ、人間の真の幸福が達成されるものであることを無視していると言わざるをえません。

 

現に、毛沢東の指導でなされた大躍進や文革などの暴力的闘争は、人民を幸福に導くことはできず、逆に不幸のどん底に突き落とし、鄧小平が逆に闘争を否定し、できることからしっかりやろう。豊かになれる条件を持っている地域が他に先んじて豊かになると認め(先富論)、その後、その成果を全体(後進地域)に及ぼして「共同富裕」に導こうという愛(闘争の否定)と、創造(できることからやる)を重んずる政策を取るようになってから、ようやく中国の経済は活気を取り戻したのでした。

 

このことから、闘争を絶対視するレーニンや毛沢東の論理は誤っており、統一思想のように愛をこそ絶対視しなければならないのであり、「先富論」(共同富裕)を強調した鄧小平のように、理論では唯物弁証法に立脚しつつも、実践面では愛と創造性を尊重するやり方の方が、毛沢東の理論よりまさっていたのだと言わなければなりません。

 

毛沢東は「闘争性は同一性のなかに宿っていて、闘争性がなければ同一性はない」(同、403頁)と言いましたが、これは闘争によって自己の立場を他に押しつけて、無理に同一化をはかろうとする一方的な論理であり、世界にあるすべてのものは互いに愛し合うように創造されたと見る有神論の立場から見るならば、「愛は同一性のなかに宿っていて、愛がなければ同一性はない」と言わなければならないでしょう。

 

実際、暴力革命によって人は幸福になるのでなく、愛によって自他が一つになり、その愛の関係が家族、氏族、民族、国家、世界へと拡大されることによってのみ、人類全体が同一性、すなわち争いのない一つの愛の家族・社会に変わっていくことができるのであり、これが幸福の究極の姿なのです。

 

毛沢東がいうように、矛盾は永遠不滅なのではなく、この全人類の親なる〝神〟と、その実体である〝メシヤ〟を中心とする「人類一家族世界」の形成によって、すべての矛盾は消滅していくのです。

 

矛盾論の批判と克服(23)

3.矛盾の諸側面の同一性と闘争性

 

毛沢東はさらに、矛盾の諸側面の同一性と闘争性との差異、相互関係について正確に理解する必要があると主張します。

「同一性」という概念は、次のような二つの状況を指示するものである。

 

①事物の発展過程における個々の矛盾の二つの側面が、それぞれ自己と対立する側面を、その存在の前提としていて、両者が一つの統一体に共存していること、

②矛盾する二つの側面が、一定の条件によって、それぞれ反対の側面に転化すること。(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央バックス、396頁)

 

そして、①の例として、生と死、上と下、禍と福、有利と困難、地主と小作農、ブルジョアジーとプロレタリアート、帝国主義による民族的抑圧と植民地、半植民地といったものがあると言います。

 

「対立する要求は、すべてこのようであって、一定に条件によって、一方ではたがいに対立しながら、他方ではたがいに結びつき、たがいに貫通し、たがいに浸透し、たがいに依存している。このような性質を同一性という」(同、397頁)。

しかし、それらの側面はいずれも、「一定の条件によって不同一性をももっているので、たがいに結びついている」(同)。

 

毛沢東が挙げている事例のうち、地主と小作農、ブルジョアジーとプロレタリアート、帝国主義と植民地などの同一性と矛盾については、確かにこういう複雑な説明が必要でしょう。

しかし、生と死、上と下に、こんなややこしい説明が当てはまるでしょうか。生は死ではない。上は下ではない。したがって、「矛盾」とか「同一性」という規定の仕方は、全く適切ではなく、単に「反対」を意味するとしか言えないのではないでしょうか。

 

統一思想では、このような対の関係を、単に「陽性と陰性の二性性相」の一例だと見、同一性と矛盾といった一見深みがありそうに見える神秘的な説明は、「唯物弁証法」という事実を曲げてとらえる、単なる詭弁のなせるまやかしだと捉えるのみです。

具体的には、この連載「矛盾論の批判と克服」のうちの、(5)~(9)などを読んでいただきたいと思います。

 

レーニンは、「弁証法は、どうして対立面が同一であることができ、また………それらは、どんな案件のもとで、たがいに転化しあいながら、同一となるのか………ということを(死んだ、硬直したものとならないように)研究する学説である」(同、396頁)と言っているようですが、それは、レーニンが革命に成功したために〝唯物弁証法〟がすばらしいものだと信奉者に買いかぶられるようになっただけのことのようにしか、私には思われません。

(上述のごとく、唯物弁証法を盲信した毛沢東の指導でなされた大躍進と文革は、みじめな大失敗におわっているのです。)

 

毛沢東は、「どうして対立面が同一であることができるのか」という問いに対して、それは両者が「たがいに存在の条件になっているからである」と答え、「これが同一性の第一の意義である」としています。

 

しかし、それだけで十分であるとはいえないと言い、「矛盾する両者が、たがいに依存するだけで、事はかたづくのではない。いっそう重要なことは、矛盾する事物が、たがいに転化することである。つまり、事物内部の矛盾する二つの側面は、一定の条件によって、それぞれ自己と反対の側面に転化し、自己と対立する側面がいた地位に転化する。これが矛盾の同一性の第二の意義である」(同、397頁)と説明しました。

 

「どうしてここにも同一性があるのか。みたまえ。被支配者であったプロレタリアートは、革命を経て支配者に転化し、もとの支配者であったブルジョアジーは、被支配者に転化して、相手がもといた地位に転化していく。ソヴィエト連邦は、すでにそうなっており、全世界も、やがてそうなろうとしている。その間に、一定の条件下における結びつきと同一性がないとしたら、どうしてこのような変化が起こりうるであろうか」(同、397-398頁)。

 

毛沢東はここで、事物内部の矛盾する二つの側面が、一定の条件によって、それぞれ自己と反対の側面に転化する例を三つ挙げています。

 

「プロレタリア独裁………を強化することは、こうした独裁をなくし、いかなる国家制度をも死滅させた、より高い段落へ進む条件を準備することにほかならない」(同、398頁)。

「共産党を創立し発展させることは、共産党とその他すべての政党制度を消滅させる条件を準備することにはかならない」(同)。

「共産党が指導する革命軍を建設し、革命戦争を進めることは、戦争を永遠に消滅させる条件を準備することにほかならない」(同)。

 

大変結構なことですが、その次には「戦争と平和はたがいに転化する。戦争は平和に転化する」。「第一次世界大戦や中国の内戦」のようにと言います。

ところが、また逆に「平和は戦争に転化する」。1927年の国共合作は、戦争に転化したし、いまの世界平和の局面も第二次世界大戦に転化する可能性がある。それは「戦争と平和という矛盾する事物が、一定の条件のもとで同一性をもっているからである」と言います。

これでは、平和=戦争だといえるだけで、平和になるか戦争になるかは、その時の条件次第でどちらとも言えないということになります。

 

「すべて矛盾は、一定の条件によって、その反対の側面に転化する」。そんなことは唯物弁証法によらずとも分かり切ったことであり、どういう時に戦争になり、平和になるかが予測できなければ、何の役に立つというのでしょうか。

 

「現在の、また歴史上の反動的支配階級」と、幸福にするという動機で〝革命〟を起こすのではなく、ただ人民をうまく取り込んでひとまとめにし、その力で今の支配者を倒して自分たちが新たに支配者となるというだけでは、ただ支配者が変わるだけで、人民たちは幸福にはなりません。

甲が支配していたのが乙の支配に変わるというだけでは、単に支配者が変わるというだけのことであって、何一つ人民が得るものはないのです。

 

唯物弁証法は、「すべての矛盾は、一定の条件によって、その反対の側面に転化する」(同、399頁)というだけで、物事を力の面だけで考え(闘争の論理)、幸福の増進という側面(愛の論理)については何も考慮していません。ここに、その考えの不十分さと、さらには恐ろしさがあると言わなければなりません。

 

支配者が変わっても、あるいは自分たちが支配者になったとしても、自分たちのことだけ考える利己心、貪欲が残っていたなら、何の得るところがあるでしょうか。

唯物弁証法は、毛沢東が自認しているように、「世界には運動する物質以外に存在するものはなく」(同、377頁)と、人間をも心を持たない単なる「運動する物質」とだけ見て、心情、愛、良心、創造性といった心の働きやそれを生かすにはどうしたらいいかという一元二性論(唯一論)の観点から見るところがないのです。

この点に、その理論の〝不足〟と〝恐ろしさ〟があると言わざるをえません。

 

矛盾論の批判と克服(22)

2.主要な矛盾と矛盾の主要な側面

 

毛沢東はさらに、矛盾の特殊性を考えるに当たっては、「主要な矛盾」と「矛盾の主要な側面」をとくに取り上げてくわしく分析する必要があると言います。

 

「複雑な事物の発展過程には、多くの矛盾があるが、そのうち、かならず一つが、主要な矛盾であり、その存在と発展が、その他の矛盾の存在と発展を規定し、あるいは、それらに影響を与える。たとえば、資本主義社会においては、プロレタリアートとブルジョアジーという二つの矛盾した力が、主要な矛盾である。その他の矛盾した力、たとえば、残存する封建階級とブルジョアジーの矛盾………ブルジョア民主主義とブルジョワ・ファシズムの矛盾、資本主義国相互間の矛盾、帝国主義と植民地の矛盾………等々(があるが、それら)は、すべてこの主要な矛盾の力によって規定され、影響される」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央バックス、389頁)といいます。

 

また、中国のような半植民地国に対して、帝国主義が侵略戦争をしかける場合には、その国内部の諸階級は、一部の売国分子をのぞき、一時的に団結して帝国主義に反対する民族戦争を起こす。この場合には、帝国主義とその国との矛盾が主要な矛盾となり、その国内部の諸階級間の矛盾は一時、従属的な地位にさがると言います。1840年のアヘン戦争、1894年及び今日の中日戦争、1900年の義和団戦争がそうだと言います。

 

帝国主義が戦争によってではなく、政治、経済、文化などの比較的おだやかな形で圧迫をおこなう場合には、半植民地国の支配階級は、帝国主義に投降し、両国は同盟を結んで、ともに人民大衆を圧迫するようになる。こういう場合、人民大衆は、しばしば国内戦争の形で、両国の支配階級の同盟に反対する。帝国主義の側は、しばしば直接行動を止めて、半植民地国の反動派の人民大衆に対する圧迫を援助する。中国の辛亥革命戦争、1924年から27年の革命戦争、1927年以後の土地革命戦争などが、みなそうだと言います。

 

この時、外国帝国主義と国内の反動派が一方の極、人民大衆が他方の極に立つ。これが、その時の主要矛盾である。ロシアでは、十月革命ののち、資本主義諸国が反動派を援助した。これも同じパターンである。1927年の蒋介石の裏切りは、こういう場面で革命陣営を分裂させた例であると言います。

 

このように、いろいろのパターンがあるが、「過程が発展するそれぞれの段階では、一つの主要な矛盾だけが指導的な働きをしていることは……疑う余地がない」(同、390頁)。それゆえ、二つ以上の矛盾が存在する複雑な過程に対しては、「全力をあげて、その主要な矛盾をさがしださなければならない。主要な矛盾をつかむならば、問題はすべて、たちどころに解決される。」(同、391頁)

 

さらに、さまざまな矛盾のなかの「矛盾の諸側面はその発展が不均等である」(同)から、矛盾する二つの側面のうち、どちらが「指導的な働きをする側面」(主要な側面)かを見抜かなければならないと言います。

さらに、新旧二つの側面は闘争し合い、その結果、「新しい側面は、小から大に変わって支配的なものに上昇し、古い側面は、大から小に変わってじょじょに消滅するものになる」(同、392頁)。それゆえ、今どちらの側面が主要な支配的な側面となっているか、絶えず注意していなければならないとも言います。

 

毛沢東のこれらの指摘は、彼が愛や創造(自由)の論理によっても動く政治や経済の発展の指導においては全く無能でしたが、闘争の論理において大筋が片付く戦争の指導は天才的でしたので、これらの分析が〝戦争に勝つため〟には、きわめて重要なものなのだろうと思います。

しかし、それでは宗教家の生き方、価値というものをこの論理で割り切っても差し支えないのでしょうか。

 

2000年前に、イエス・キリストは当時のユダヤ教の上層部に対し、「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ、あなたがたは、わざわいである」と痛烈に批判し(マタイ23章)、そのために激しい怒りを買い、30才から約3年、本格的な伝道をしただけで捕えられ、大祭司カヤパが「あなたは神の子キリストなのかどうか」と問うたのに対し、「あなたの言うとおりである」と答えたために、「神を汚した」(マタイ26章65節)とされ、当時のユダヤ教指導者らは群衆を扇動してイエスを十字架に追いやりました。

 

イエスは十字架で「父よ、彼らをお許しください」(ルカ23章34節)と執り成しをして亡くなり、3日目に復活して40日間、弟子たちを指導した後、昇天します。さらに10日後の聖霊降臨により、イエスをキリスト(メシヤ)と信ずる者たちが増えて、今日のカトリック教会、東方教会、プロテスタントなど、併せて約20億7000万人にまで達しています。

ちなみに、イスラム教は約12億5000万人、仏教は約3億8000万人で、キリスト教はどの宗教よりも信徒数の数は多いのです(白取春彦『今知りたい世界四大宗教の常識』講談社、17頁)。

 

また、このイエスの教えを完全な形(統一原理、統一思想)にまで発展させた文鮮明師は、日本で1回、北朝鮮で3回、韓国で1回、米国で1回の合計6回も厳しい取り調べや投獄の処分を受け、それでも、生地韓国の敵に当たる日本に対し、国交がない状態のなかで宣教師を派遣しました。その宣教師は刑務所に入れられ、病気で療養所にいたところを脱出し、その後、東京に行って、そこで伝道して信者を増やします。

 

このような文鮮明師と、その弟子たちの動きは、果たして毛沢東が矛盾論で力説していることと一致するでしょうか。

文鮮明師の祖国、韓国は日本に力ずくで併合されたのであり、さらに、自分自身も独立運動の中心となったために日本の官憲に逮捕され数々の拷問を受けたのですから、毛の唯物弁証法の論理によれば、文鮮明師にとって日本は韓国を植民地として併合した帝国主義国家であり、「帝国主義とその国」という最も主要な矛盾の関係にあると言わなければなりません。

 

それにもかかわらず、文鮮明師は日本を最も主要な敵としてこれと闘ったのではなく、日本を最も親しい国(韓国を夫とすれば妻の立場の国)として選び、最も優秀で勇敢な弟子を日本に密航させてまで伝道させたのでした。

これは本来ならば、キリスト教国であるイギリスを妻、アメリカを次子、フランスを長子の立場に立てるべきであったのですが、キリスト教が文鮮明師を受け容れなかったので、その代わりにキリスト教徒が全人口の1%にも満たない日本を妻に立て、アメリカを次子、ドイツを長子の立場に立てるようになったのだと言います。

 

(どうして、次子の立場が長子の立場より上位に来るかは、聖書冒頭の創世記に神がアダムとエバの子――長子カインと次子アベルに供え物をさせて、次子アベルの供え物のみを顧み、カインの供え物を顧みなかったという記述があるのと関係があるのですが、簡単には説明できないので略します。そのわけを知りたい方は、統一原理の堕落論をお読みください。)

 

この文鮮明師と毛沢東の思想を比較検討すると、毛沢東の思想は闘争の論理で、敵と見るものをすべて滅ぼすか、力ずくで支配しようとするのに対して、文鮮明師の思想は愛の思想で、神が人間をはじめとするすべてのものが幸福に生きられるようにとの願いのもとに創造されたという原点に立ち戻って、敵をも命がけで愛し救おうという動機のもとに、そのためにはどうするのが最善かという問いに基づいて構築されている、という大きな違いがあるということが分ります。

 

この両者を比較すると、すべてを幸福と繁栄に導くためには、闘争の論理ではなく、愛の論理に基づいてすべてを観察し、救いに導くのでなければならないという結論に達するのではないでしょうか。

 

矛盾論の批判と克服(21)

毛沢東は、「人類の認識運動の順序」として、「人々はなによりもまず、多くの異なった事物の特殊な本質を認識し、そうしてはじめて、さらに一歩進めて概括をおこない、さまざまな事物の共通の本質を認識できる」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央バックス、378頁)と主張しています。

 

しかし、この「多くの異なった事物の特殊な本質を認識」するに当たって、自分の敵をも愛して〝救い出そう〟という動機とその〝愛〟を可能ならしめる統一思想の二性性相(性相すなわち心と、形状すなわち体、男女などの陽性と陰性の対構造)と四位基台(心情すなわち愛に由来する共通目的のもとにその二性性相の円満な授受作用を求めるものの捉え方)の論理で多くの異なる事物の特殊な本質を捉えるのか、それとも初めから相手を自分と相容れぬ〝敵〟と見て、愛に基づく授受作用によって一体となろうというのではなく、何としてでも相手を自分の意のままに動かすか、相手があくまでも従わない場合には闘って断乎として〝滅ぼそう〟という、支配と闘争の論理(唯物弁証法)で、自分を取りまく多くの事態(事物)の特殊なあり方を捉える場合とでは、同じく「特殊」と呼んでも全然別のものとなり得るし、また、その特殊性を概括して共通の「本質」を導き出しても、それもまた全く異なるものとなって来るのではないでしょうか。

 

後者のようなやり方(唯物弁証法)で、毛沢東がつかみ出した「共通の本質」は、どれだけ細かく事態を正確に観察したとしても、それに従う人民を幸福に導くことができるはずがありません。

 

そのために、毛沢東は、支配と闘争の論理でうまくいく遊撃戦争の指導には成功しましたが、愛と許しの論理が必要な政治や経済――大躍進と文革には全く失敗しました。

 

一方、理屈ではうまく言えなくても、愛と許し(自由の尊重)の論理を一部導入した鄧小平が、第二次天安門事件のような残虐なこともしでかしましたが、大局的には、中国を平和で豊かな国にすることには成功したと思われるのです。

 

また、毛沢東は、「問題を研究するばあい、主観的、一面的、表面的であってはならない」(同著、380頁)と言い、「主観的というのは、問題を客観的にみるすべを知らぬこと、つまり問題を唯物論の観点でみるすべを知らぬことである」(同)と主張しました。

 

ここで「唯物論的」というのは、物事が心の働きに従って生ずるのではなく、物事がどういうわけか(毛沢東の信ずるところに従えば、矛盾によって)まず動き、後でその動きを心で捉えるという見方のことです。

 

しかし、現実は果たして、まず物が動き、それから心がそれにつれて受動的に動くというようになっているでしょうか。

毛沢東はこういう見方をしたために、まず、人民公社(物質的仕組み)をつくって、農民を一律に5000戸も一緒にし(集団化)、囚人のように働かせる(機械化)ということを平気でしたのです。

 

こういう農民の「心」を重んじない、唯物論的な物事の処理の仕方こそが、大躍進施策の失敗の根本原因なのではないでしょうか。

 

たとえば、ある県党委書記は、「人民公社で生産量を過少申告する農民の摘発運動を展開した。ある日には四十人以上が拷問を受け、うち四人がその場で死んだ。見かねて制止に入った青年も、がんじがらめに縛られてこん棒や革ベルトで全身を打ちすえられ、哀願しながら息絶えた。遺体は川に投げ棄てられた」(『毛沢東秘録〈上〉』扶桑社、295頁)

 

その信陽専区全体で、1959年11月から1960年7月までに、「拘留された者は一万七百二十人にのぼり、六百六十七人が留置場で死亡したという」(同)のです。

 

これなどは、唯物論的なものの見方が、いかに残酷非道なものであるかを如実に示しているといえましょう。

農民たちは、毛沢東の見方と同様に、管理者から単なる物質と見られており、唯物論的な非常な指令――「生産量の過少申告への摘発運動」が、〝死刑〟に値する重大犯罪と見られていることが分ります。

 

この過少申告の罪を犯した者はみな、地区によっては1万人以上も殺害されており、農民の「心」は全く無視され、毛沢東の指令に従わなかったというだけで、まるで虫けらのように生きる権利さえもないとみなされているのです。

 

問題を「唯物論の観点」で見なければならないという毛の主張が、どれだけ凶悪で人間性に反する残酷なものの見方か、あえて論ずる必要もありません。

毛にとって、農民の幸福(心)のために、食量の生産(物)があるのではなく、生産のために農民があり、生産増強のためなら何百人もの農民を殺してもいいというのです。これほど誤ったものの考え方はないといえましょう。

 

鄧小平が、一切の闘争を禁じたのは、当然とはいえ、絶望的な凶悪な事態を少しはましなものにしたといえましょう。

毛の大躍進政策の大失敗のために、「ひどい村では八十日間一粒の穀物もないというありさまだった」(『毛沢東秘録〈上〉』扶桑社、295頁)というのです。

 

生産(物)のために農民の心があるという唯物論的なものの捉え方をすると、こんな惨状を招くのです。そのため、「だれでも腹いっぱい食べられると宣伝された『公共食堂』は機能しなくなっていた」(同)のであり、実際、その前に、ただ空腹を満たすためだけの「公共食堂」(物の供給)など農民には何の魅力もなく、貧しくとも家族の団欒(心の交わり)の方がどれだけ楽しいか分かりません。

 

毛沢東の予想に反して、「公共食堂」は何よりも不評であり、至るところで廃止が求められました。

また、栄養失調で病気になり、農村を逃げ出す農民が多くなっても、監督は、「穀物がないのではない、九割の者は思想に問題があるのだ」(同)と言い、民兵に村を封鎖させ、都市部の各機関や工場には農村から逃げた者を受け入れないように指令を発したという例まであるのです。

 

これも、飢えよりは、共産党の管理体制が重要だと、農民の自由(心)や、さらには生死(物)さえも、管理体制の維持(物の中の物)よりも軽く見るものであり、唯物論という名の利己主義の極致で、共産党の存在意義さえあやしくなって来ます。

 

こういう価値観でいかに問題を「全面的」に見たところで、どうにもならないのではないでしょうか。

毛沢東は、こういう物の見方の基本を、全く一方的に唯物論に帰着させ、その上で、問題を研究する場合に、「主観的、一面的、表面的」ではなく、「客観的(唯物論的)、全面的、根本的」にものを見るというのです。

 

しかし、ものを見るに当たっての動機が、このように利己的、闘争的であるならば、いくら「客観的、全面的…云々」といって努めたとしても、その研究の対象となる〝農民〟や〝労働者〟を幸福にすることなど絶対にできるはずもなく、むしろ死ぬ以上の苦しみを与えるだけなのではないでしょうか。

 

矛盾論の批判と克服(20)

六、毛沢東の矛盾観の総合的批判

 

以上、毛沢東の矛盾観を根本から検討する手掛かりとして、文化大革命における毛沢東の言動、遊撃戦争についての毛のコメント、毛沢東と異なるスタンスを取る鄧小平の政治・経済の戦略を略述した土台の上で、総合的な批判を提起してみましょう。

 

1.矛盾の特殊性をめぐって

 

毛沢東は、「矛盾の普遍性」の次に「矛盾の特殊性」についての論考の中で次のように述べています。

 

「どんな運動形態でも、その内部には、それ自身の特殊な矛盾がふくまれている。この特殊な矛盾が、ある事物を他の事物から区別する特殊な本質を形づくっている。これがつまり、世界のさまざまな事物が千差万別であることの内在的原因、あるいは根拠と呼ばれるものである。」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央バックス、377頁)

 

ここで毛沢東が、どんな運動形態にもその内部にはそれ自身の特殊な「矛盾」が含まれていると言いますが、それは「矛盾の普遍性」と称するものを検討した時に詳しく論じましたが、すべての事物、運動形態のうちには〝矛盾〟が含まれているという全く無理で強引な論法に基づく主張です。

 

この矛盾遍在の理論は、ヘーゲルがすべての「有限なものは自己自身の中で自己と矛盾し、それによって自己を止楊し、反対者へ移行する」(観念弁証法)と主張したのを唯物論的に改作して、「一切は、他と相互関係にありながら、自己の内部における対立物との闘争によって自己運動を起こし発展する」(唯物弁証法)と定式化し、それによって「世界を新たなものの生成、量から質への転化、古いものの消滅という諸過程の複合として認識」しようとした(『広辞苑第四版』2321頁)ところから理論的に要請されて出て来たものです。

 

それは、「資本主義的社会秩序、その反定立としての無産階級、戦いとられるべき綜合としての階級なき共産主義社会」(ヒルシュベルガー著『西洋哲学史Ⅳ現代』理想社、53頁)という対比で、革命の必然性を示そうとして、マルクス、エンゲルスから、レーニン、スターリン、毛沢東へと受け継がれて来た観念的な構成物です。

 

しかし、こういう物の考え方は、果たして現実と合っているでしょうか。その点を機械、人間以外の生物、人間と社会の三点から吟味してみることにしましょう。

 

機械について。これには明らかに何の内部矛盾もありません。もしあったなら、それは機械としての役割を果たすことはできません。弁証法に対立する世界観を機械論と言いますが、まさしくその名の通り、機械は特定の目的と構想のもとに、常に全く同じ役割を果たすように厳密に造られているのが良い機械です。

 

もちろん、その機械を正確、広汎に使いこなすためには、その機械の「特殊性」を細かく全部、正確に知っている必要がありますが、それは決して「矛盾の特殊性」ではなく、発明者、製作者の意図(そこに矛盾などありません)を知る必要があるのです。

機械は、上手に使えばいつまでも同じ効果を上げるのであって、〝否定〟も〝否定の否定〟もなく、対立、闘争、量から質への転化、発展などいっさいありません。

 

人間以外の生物について。人間以外の生物も、DNAの指示どおりになるのであって、その過程には基本的には何の矛盾も発展もありません。生きていかなければならないので、他の生物を食べたり、逆に食べられないように逃げなければなりませんが、いつも同じことをするのであって、そのやり方の間にも矛盾もなければ、発展もありません。

 

また、人間以外の生物には、自分を中心とした〝帝国〟を創ろうなどという野心もなく、食べ方や逃げ方などは生まれつきの本能や、親のしつけ方などで決まるのであって、千篇一律。何年経ってもその行動の仕方には著しい改良など見られません。

 

人間について。人間の段階に至って、人間には全く新しいものを発明する創造性があり、また、自分を中心とした国家や会社を造ろうという野心を持つようにもなるので、そうした創造性や自己中心性のために、その欲望が互いに相容れぬものとなる結果、初めて唯物弁証法が主張するような「矛盾」が生じて来ます。

 

しかし、人間には同時に人を愛し、相手のために尽くそうとする気持ちもあるので、こういう愛他主義的な心情は矛盾せず、人間の場合でも、常にその間に矛盾が生ずるとは限りません。

 

「統一思想」は、人間は本来、結婚を通じて、夫婦・父母・親子・兄弟姉妹という四大心情圏の開発を土台として、家族、氏族、民族、国家、世界を築き、矛盾ではなく、逆に尽くし合うことによって完全な愛の調和の世界を形成できるはずであったが、人類最初の一組の夫婦の「堕落」によって、その葛藤が代々拡がって、今見るような矛盾に満ちた世界になってしまったのだと見ます。

 

したがって、すべての人間の感情や行動が、最初から矛盾するようにはなっていないのであって、その点を〝悔い改めること〟が先決だと見ます。そういう前提で、毛沢東の言うように、「中国の側(の事情)だけがわかって日本の側はわからない、共産党の側だけがわかって国民党の側はわからない、プロレタリアートの側だけがわかってブルジョアジーの側はわからない、農民の側だけがわかって地主の側はわからない、有利な状況の側だけがわかって困難な状況の側はわからない」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央バックス、380-381頁)というのではなく、すべての事情を詳しく知る必要があると見ます。

 

そうして、何よりも、その事情の知り方が、闘争の論理である唯物弁証法の固定観念からではなく、人間の本性をその根底まで掘り下げた愛の論理――「統一思想」の観点から検討して見なくてはならないと見ます。

 

毛沢東が主張する「労働者階級と農民階級の矛盾は、農業の集団化と機械化の方法によって解決される」などという論理は、唯物弁証法への盲従がもたらした暴論であり、そのために5000戸の農家を一つに束ねて働かせるという、およそ非人間的な人民公社絶対論となり、大躍進運動の大失敗――数千万人を餓死させるという悲惨な結末を招いたのです。

 

いくら詳しくさまざまな事情を考慮しても、その事情の知り方の根本となる思想の骨格が間違っていたのではどうにもならない道理です。

毛沢東は、「ただほかに変えようがないと決めこんだ一つの公式を、ところかまわず、千篇一律に、むりやりにあてはめる。これでは革命を挫折させるか、もともとうまくいっていることをも、ぶちこわすほかはない」(同、379頁)と自分で言っていますが、そういう下手な公式こそこの闘争の論理――唯物弁証法であると、大事に至らぬ前に早く気づくべきだったのではないでしょうか。

 

鄧小平も「唯物弁証法」が絶対正しいと信じ切ってはいましたが、現状をよく見て、「闘争を煽ってはならない」「できる事からしっかりやる」「自分の考えを画一主義におしつけてはならない」「豊かになれる条件を持つ一部の人や地域が他に先んじて豊かになってもかまわない」「西側の先進技術、資金を大量に導入しなければならない」など、闘争否定の愛の論理、和の論理、創造の論理を事実上広く組み入れたために、挫折した毛沢東路線を建て直すことができたのではなかったでしょうか。