矛盾論の批判と克服(2)

(2)社会の発展の根本原因

このように、天体の構造や生物の種が内部矛盾によって生じたり、変化したりするというのは正しいとはいえず、天体や生物とは独立に途方もなく精密で巨大な力を有する超越的存在――宗教で神と名づける存在があり、その超越者によって個々の天体、鉱物、植物、動物の形態や運動や機能が定められると考えざるをえません。

 

ただし、だからと言って、それらの存在が互いに孤立しているとも、変化しないとも私たちは考えません。互いに関係を持ち、単純なものがまず初めになければそれより複雑なものが存在を維持することができないので(例えば、複雑な生物はそれより単純な生物を食べるのでなければ生きていくことができません)、単純なものから順次、複雑なものが精密な設計に従って出現して来ると考えます。

 

しかし形態を持って存在するもの同志の相互作用によって、ひとりでに新しいものが存在するようになるのではなく、超越者の設計(例えばその時に存在している生物のDNAに超越者が手を加えて新しいDNAを制作するといった方法)に従って新しい生物が出現してくると見ます。そういった力を外力と呼ぶなら、そう言ってもかまいません。

 

ただし、形而上学の特徴を「孤立的、静止的、一面的」と性格づけるなら、それはわれわれが信奉する統一思想の特色とは全く一致しません。全く逆に、すべてのものがすべてのものと関係し合い、動的、全面的に運動し、交わり合い、変化、発展すると見るのです。ただそれらの動きや性質を与え、あるいは可能にした身心の基盤は被造物自体によって造り出されたものではなく、超越者が設計し、出現させたものだと考えるのです(それがどのような手続きによってかということについては後で説明します。)

 

この統一思想のものの見方はきわめてダイナミックなものなので、形而上学という表現よりも有神論という呼称の方が適当だと思われます。結論的にいえば、統一思想は、神はみずからの愛の対象として、人間の喜びの対象となるきわめて多種多様なものを創造された後、その基盤の上に、ご自身とすっかり同じ性質を備えた人間を最後に創造し、ご自身は霊であり、そのままではご自身の子孫を生み殖やすことができないので、ご自身とそっくりに創った人間の生殖作用を通じて、実体の子孫を無限に増やそうとされたのだと捉えます。

 

さて、それでは、統一思想のものの捉え方についての説明はそれ位にして、毛沢東が直接的に関心を持っている社会の構造についてはどういうことがいえるでしょうか。

 

毛沢東は、それを取り巻く地理や気候が何も変らないのに、「帝国主義のロシアは、社会主義のソヴィエト連邦に変わり、封建的な鎖国日本は、帝国主義の日本に変った」。さらに、「封建制度の支配下にあった中国」も、「いまや、自由解放の中国へと変化しつつある」(370頁)と言っています。こういう社会構造の変化は地理や気候の変化と何も関係がないと言い、その点において「外因論」「受動論」を否定すると毛沢東は主張しますが、それは当然のことであり、これに対して私たちには何の異論もありません。

 

唯物弁証法は、「外部の原因」(たとえば温度)は変化の条件、「内部の原因」(鶏の卵)は変化の根拠であって、外因(温度)は内因(卵)をひよこに変えることができるが、石をひよこに変えることはできないと主張すると言いますが、これも当然のことでしょう。

 

さて、毛沢東はこの論理を踏まえて、ロシアの十月社会主義革命が中国の内部変化に与えた影響はきわめて強く、深刻であったが、それも各国の内部と同様、「中国の内部それ自体が持つ法則性を通じて起こったもの」だと主張しますが、それは具体的にはどのようなものだったのでしょうか。

 



カテゴリー: 矛盾論の批判と克服