矛盾論の批判と克服(22)
2.主要な矛盾と矛盾の主要な側面
毛沢東はさらに、矛盾の特殊性を考えるに当たっては、「主要な矛盾」と「矛盾の主要な側面」をとくに取り上げてくわしく分析する必要があると言います。
「複雑な事物の発展過程には、多くの矛盾があるが、そのうち、かならず一つが、主要な矛盾であり、その存在と発展が、その他の矛盾の存在と発展を規定し、あるいは、それらに影響を与える。たとえば、資本主義社会においては、プロレタリアートとブルジョアジーという二つの矛盾した力が、主要な矛盾である。その他の矛盾した力、たとえば、残存する封建階級とブルジョアジーの矛盾………ブルジョア民主主義とブルジョワ・ファシズムの矛盾、資本主義国相互間の矛盾、帝国主義と植民地の矛盾………等々(があるが、それら)は、すべてこの主要な矛盾の力によって規定され、影響される」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央バックス、389頁)といいます。
また、中国のような半植民地国に対して、帝国主義が侵略戦争をしかける場合には、その国内部の諸階級は、一部の売国分子をのぞき、一時的に団結して帝国主義に反対する民族戦争を起こす。この場合には、帝国主義とその国との矛盾が主要な矛盾となり、その国内部の諸階級間の矛盾は一時、従属的な地位にさがると言います。1840年のアヘン戦争、1894年及び今日の中日戦争、1900年の義和団戦争がそうだと言います。
帝国主義が戦争によってではなく、政治、経済、文化などの比較的おだやかな形で圧迫をおこなう場合には、半植民地国の支配階級は、帝国主義に投降し、両国は同盟を結んで、ともに人民大衆を圧迫するようになる。こういう場合、人民大衆は、しばしば国内戦争の形で、両国の支配階級の同盟に反対する。帝国主義の側は、しばしば直接行動を止めて、半植民地国の反動派の人民大衆に対する圧迫を援助する。中国の辛亥革命戦争、1924年から27年の革命戦争、1927年以後の土地革命戦争などが、みなそうだと言います。
この時、外国帝国主義と国内の反動派が一方の極、人民大衆が他方の極に立つ。これが、その時の主要矛盾である。ロシアでは、十月革命ののち、資本主義諸国が反動派を援助した。これも同じパターンである。1927年の蒋介石の裏切りは、こういう場面で革命陣営を分裂させた例であると言います。
このように、いろいろのパターンがあるが、「過程が発展するそれぞれの段階では、一つの主要な矛盾だけが指導的な働きをしていることは……疑う余地がない」(同、390頁)。それゆえ、二つ以上の矛盾が存在する複雑な過程に対しては、「全力をあげて、その主要な矛盾をさがしださなければならない。主要な矛盾をつかむならば、問題はすべて、たちどころに解決される。」(同、391頁)
さらに、さまざまな矛盾のなかの「矛盾の諸側面はその発展が不均等である」(同)から、矛盾する二つの側面のうち、どちらが「指導的な働きをする側面」(主要な側面)かを見抜かなければならないと言います。
さらに、新旧二つの側面は闘争し合い、その結果、「新しい側面は、小から大に変わって支配的なものに上昇し、古い側面は、大から小に変わってじょじょに消滅するものになる」(同、392頁)。それゆえ、今どちらの側面が主要な支配的な側面となっているか、絶えず注意していなければならないとも言います。
毛沢東のこれらの指摘は、彼が愛や創造(自由)の論理によっても動く政治や経済の発展の指導においては全く無能でしたが、闘争の論理において大筋が片付く戦争の指導は天才的でしたので、これらの分析が〝戦争に勝つため〟には、きわめて重要なものなのだろうと思います。
しかし、それでは宗教家の生き方、価値というものをこの論理で割り切っても差し支えないのでしょうか。
2000年前に、イエス・キリストは当時のユダヤ教の上層部に対し、「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ、あなたがたは、わざわいである」と痛烈に批判し(マタイ23章)、そのために激しい怒りを買い、30才から約3年、本格的な伝道をしただけで捕えられ、大祭司カヤパが「あなたは神の子キリストなのかどうか」と問うたのに対し、「あなたの言うとおりである」と答えたために、「神を汚した」(マタイ26章65節)とされ、当時のユダヤ教指導者らは群衆を扇動してイエスを十字架に追いやりました。
イエスは十字架で「父よ、彼らをお許しください」(ルカ23章34節)と執り成しをして亡くなり、3日目に復活して40日間、弟子たちを指導した後、昇天します。さらに10日後の聖霊降臨により、イエスをキリスト(メシヤ)と信ずる者たちが増えて、今日のカトリック教会、東方教会、プロテスタントなど、併せて約20億7000万人にまで達しています。
ちなみに、イスラム教は約12億5000万人、仏教は約3億8000万人で、キリスト教はどの宗教よりも信徒数の数は多いのです(白取春彦『今知りたい世界四大宗教の常識』講談社、17頁)。
また、このイエスの教えを完全な形(統一原理、統一思想)にまで発展させた文鮮明師は、日本で1回、北朝鮮で3回、韓国で1回、米国で1回の合計6回も厳しい取り調べや投獄の処分を受け、それでも、生地韓国の敵に当たる日本に対し、国交がない状態のなかで宣教師を派遣しました。その宣教師は刑務所に入れられ、病気で療養所にいたところを脱出し、その後、東京に行って、そこで伝道して信者を増やします。
このような文鮮明師と、その弟子たちの動きは、果たして毛沢東が矛盾論で力説していることと一致するでしょうか。
文鮮明師の祖国、韓国は日本に力ずくで併合されたのであり、さらに、自分自身も独立運動の中心となったために日本の官憲に逮捕され数々の拷問を受けたのですから、毛の唯物弁証法の論理によれば、文鮮明師にとって日本は韓国を植民地として併合した帝国主義国家であり、「帝国主義とその国」という最も主要な矛盾の関係にあると言わなければなりません。
それにもかかわらず、文鮮明師は日本を最も主要な敵としてこれと闘ったのではなく、日本を最も親しい国(韓国を夫とすれば妻の立場の国)として選び、最も優秀で勇敢な弟子を日本に密航させてまで伝道させたのでした。
これは本来ならば、キリスト教国であるイギリスを妻、アメリカを次子、フランスを長子の立場に立てるべきであったのですが、キリスト教が文鮮明師を受け容れなかったので、その代わりにキリスト教徒が全人口の1%にも満たない日本を妻に立て、アメリカを次子、ドイツを長子の立場に立てるようになったのだと言います。
(どうして、次子の立場が長子の立場より上位に来るかは、聖書冒頭の創世記に神がアダムとエバの子――長子カインと次子アベルに供え物をさせて、次子アベルの供え物のみを顧み、カインの供え物を顧みなかったという記述があるのと関係があるのですが、簡単には説明できないので略します。そのわけを知りたい方は、統一原理の堕落論をお読みください。)
この文鮮明師と毛沢東の思想を比較検討すると、毛沢東の思想は闘争の論理で、敵と見るものをすべて滅ぼすか、力ずくで支配しようとするのに対して、文鮮明師の思想は愛の思想で、神が人間をはじめとするすべてのものが幸福に生きられるようにとの願いのもとに創造されたという原点に立ち戻って、敵をも命がけで愛し救おうという動機のもとに、そのためにはどうするのが最善かという問いに基づいて構築されている、という大きな違いがあるということが分ります。
この両者を比較すると、すべてを幸福と繁栄に導くためには、闘争の論理ではなく、愛の論理に基づいてすべてを観察し、救いに導くのでなければならないという結論に達するのではないでしょうか。