Archive for 7月 9th, 2013

矛盾論の批判と克服(8)

(i)統一思想の相対関係の捉え方

 

さらに統一思想は、

①この性相と形状は陽性、陰性よりもっと根本的な相対関係(二性性相)である

②性相と形状のそれぞれが陽性と陰性の相対関係から成り立っている

③唯物論とは逆に、性相が主体(+)、形状(-)がその対象である

と見ます(第4図参照)

 

8の図1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このように、統一思想は唯物論を否定しますが、かと言ってその反対の観念論(唯心論)でもなく、さらにこの両者を機械的に並列させる二元論でもなく、性相が主体、形状が対象の立場で両者が授受作用によって一体となっていると見る唯一論(一元二性論)という独特の見方をするのです。

こういうものの見方を提唱しているのは、私の見る限り、統一思想しかありません。

 

(j)矛盾論と統一思想(一元二性論)の比較

 

毛沢東はレーニンの挙げた矛盾の六つの例に続いて次のように述べています。

 

「人間のもつ概念のひとつひとつの差異は、すべて客観的矛盾の反映とみなすべきである。客観的矛盾が、主観の思想に反映し、概念の矛盾運動を形づくり、思想の発展をうながし、たえず人々の思想上の問題を解決する」(『世界の名著78 孫文 毛沢東』中央公論社、374頁)

 

毛沢東はここで、唯物論に従って、まず最初に客観的な物質の状態があり、それが第二次的に主観的な意識のうちに反映されて来ると見ています。その最初の物質の状態のうちに「矛盾」があり、それが意識において「差異」として捉えられる。すなわち、客観的にあるこの宇宙には、そこに調和をもたらすような宗教上の神のような存在があるはずはない(無神論の世界観)ので、始めから終りまで矛盾したままで、単に次々に新しい状態に移行していくことしかできない。これが毛沢東のいう「矛盾の普遍性」ということなのです。

 

この宇宙はどこまで行っても矛盾・対立があるままで、調和するには至らない。こういう徹底した悲観的宇宙観、人間観なのです。

このように絶えず形を変えて、だんだんよりよいものへと「発展」していくが、その発展した状態でも決して矛盾はなくならず、単に前よりはましな状態に移っていくだけであるのだから覚悟しておけ、というのが毛沢東の言い分です。

 

こういう物質上に現れた「客観的矛盾」が第二次的な「主観」の思想に反映して、今度は「概念の矛盾運動」を形づくるようになる。こうして多少はましな思想へと「発展」し、だんだんに「たえず人々の思想上の問題を解決する。」しかし、矛盾は決してなくならないように運命づけられている。この宇宙は矛盾を持たない合理的な神によって創造されたものではなく、単に何の意味も計画もなしに、どういうわけでか生じて来たというだけのものだから、矛盾がなくなるはずはない。この矛盾運動によって多少はましな世界となる可能性があるのだからそれで我慢しろ。「この矛盾がやむやいなや、ただちに生命もやみ、死が到来する」。だから死を意味する矛盾の消滅を願うのは愚かなことだというのです。

 

同様に思想の「対立」と「闘争」がなくなることを願うのも愚かなことだと毛沢東は主張します。

 

「党内では、あい異なる思想の対立と闘争が、つねに生まれる。それは社会の階級矛盾……が、党内に反映したものである。党内に矛盾がなくなり、矛盾を解決する思想闘争がなくなれば、党の生命も停止する。」(同、374頁)

 

しかしながら、この思想に対し、次のように思わざるを得ません。

「このような『粛清の概念』や『破壊の概念』のある共産主義は人類が受け入れることができない主義です。そこでは愛や家庭までも、父母までも搾取の元凶であると言うのです。子供は父母の立場を自己の利益のために活用する存在として、搾取的な母体と見るのです。

共産主義は『世界を全部制覇しなければならない』と言って、そこに反対するものは全部首を切り、粛清しました。自己の同僚もお構いなく、父母もお構いなくみんな粛清したのです。友人も見忘れ、父母も見忘れ、みんな見忘れるのです。『ただ党だけがある!』。やせっぽちの党だけです。みれば見るほど恐ろしく、見れば見るほど冷徹であり、見れば見るほど情が離れていく党だけが『第一である!』と、こう言っているのです。……そこには理想がありません。」(文鮮明著『神様の摂理から見た南北統一』614~615頁、共産主義の闘争観念より)。

 

このどうにも始末に負えない唯物論、無神論のマルクス主義者――毛沢東に対して、一元二性論、有神論の立場に立つ統一思想は次のように宇宙と人間の成り立ちを捉えます。

 

まず、前にも述べたように、生物は実に整然と組み立てられた長い鎖のDNAがmRNAに転写され、ついでそれがタンパク質に翻訳されるという手順で形成されてくる。

 

また、月は直径で太陽と比べてちょうど400分の1の大きさで、同時に地球と月の距離が地球と太陽との距離のちょうど400分の1であるために、ぴったりと重なって皆既日食になるというように緻密に設計されており(クリストファー・ナイト、アラン・バトラー『月は誰が創ったか?』学習研究社、16頁参照)、また、宇宙が137億年前に突如発生した超高温・高圧の素粒子よりも小さな一点(ビッグバン)から生じたなどの事実から、この宇宙は、無形ではあるが超高度の知性を備えた実在する存在――宗教でいう神――によって創造されたと考えざるを得ません。このような捉え方をするのが統一思想の世界観です。

 

その存在は第5図で示すように、心情(愛を通じて喜ぼうとする情的衝動)から発する目的を中心として、内的性相(知情意)と内的形状(観念・概念・原則・数理)との内的授受作用によって創造される新生体(ロゴス)が、再び心情から発する目的を中心として、本性相と本形状(前エネルギー)との外的授受作用によって五感で感知できる実体となって現れて来ると見るのです。

 

8の図2